鉄になれやわらかな時間よ。

 〜写真家 新保勇樹 公式ブログ〜

『毎日はきっと大丈夫の連続で進んでいる。』

 

 

 

おひさしぶりです。

 

はじめての写真集出版で始まり写真展で駆け抜けた2016年が終わる。

今年は一連のTenacity Blues Diaryプロジェクトと日々の仕事でいっぱいいっぱいで更新してなかったのでざっと振り返ってみる。

 

1月

元旦0時に写真集出版を告知、お祝いのメッセージを沢山いただき嬉しくなるとともに緊張も高まる。

年末にデザイナーの打越氏と共に固めたページ構成を正月休みに持ち帰り何度見返しチェック&手直しを考える。

それと並行して後書きの文章を綴る。

半ばに304P全ての構成が決まる、レイアウト作業、そして初校刷りだしと順調に進む。

渾身の後書きも締め切りギリギリで提出、自分が直接的にする作業は終了、それぞれのプロの手に委ねる。

 

2月

初校、再校とチェック、どうも思うような黒が出てこない、不安を抱えたまま印刷の立ち会いへ臨むことになる。

スペースカイマンでの写真集発売記念展の準備も進む。

それらと並行して写真展ツアーの第一弾神戸展の発表、そして写真展グッズの製作に入る。

カイマンの展示はプリントを見せるというよりは写真集の世界観を空間で表現するという試みにしたかったのでスライドショーと大型のプリント1枚という構成に決める。

一方、写真展ツアーはプリントの醍醐味を見せたいので紙、額装ともに徹底的にこだわる。

 

2/22印刷立ち会い、表紙と中ページはそれぞれに合った別の工場での刷りだし。

ともに最終的には印刷機の前で職人さんと直に話す事が出来て満足の行く仕上がりとなる、ホッとして力が抜ける。

翌日、写真展のプリントが出来上がる、こちらもパーフェクト、今までで最高のオリジナルプリントが出来上がった。

そして翌日、静岡にある額装の工場へ。

いつもはメールと電話でのやり取りでお願いしていたが、今回は額装の黒の見え方や大きさをミリ単位で調整して欲しかったので微妙なニュアンスを伝えにプリントを持って直接お願いに。

 

その帰り道、西日が綺麗な太平洋の横を走っている時に担当編集の福嶋女史から着信。

森山大道氏が刷りだしを見て写真集の帯を書いて下さったとの報告、あの時の西日の景色を忘れる事は無い。

『イメージとサウンドの間から生れし、新しきモノクロームの旗手』

一つの終着のつもりで作った本、その作業の最後に写真を撮り続けなさいと背中を押して貰えました。

前日にギリギリまで粘って遅らせていたがタイムリミットで入稿した帯をすぐに差し替える作業に入る、打越さんも森山氏の言葉入りの帯デザインを直ぐに作製してくれ改めて入稿、発売記念展での先行販売まで1週間と迫っていた時のミラクルだった。

あとは完成を待つばかり。

 

3月

3/3明日から始まる写真集発売記念展の設営作業、作業中に出来立てほやほやの写真集が届く。

しばし設営の手を止め1枚1枚ページをめくる。

はじめての写真集が出来上がった。

という感慨に浸る事ほんの数分で急ピッチで展示作業再開。

頭に描いた通りの素晴らしい空間が出来上がった。

翌日の初日から最終日までたくさんの方に足を運んで貰えた。

最後の週末土曜日にはThe Birthdayマネージャー瀬戸垣内氏と音楽と人編集長金光氏をお招きしてトークイベント、両人ともの僕の事もバンドの事も昔から知っている方だけにここでしか聞けない話も出来た僕にとっても有意義な時間だった。

イベント終了後は関係者の方をお招きしての出版記念パーティーをギャラリーで、ここでもたくさんの方が時間を割いて来てくださり感謝の1日となった。

最終日が月曜日で翌火曜日に撤収、そしてすぐに金曜日の設営からいよいよ始まる写真展ツアーの大詰め準備に。

 

3/18神戸入り、Tenacity Blues Diary神戸展の設営、作品や荷物は郵送していたので飛行機、神戸行きはスカイマークが安い。

神戸展の会場は以前にTenacity Blues Diaryの原型となるLIKE JUST A DOG展も開催したKOBE 819 GALLARY。

オーナーの野元は僕がアシスタント時代に野村さんの写真展の設営で大阪ナダールに行った時のナダールのスタッフ、同い年で意気投合しかれこれ15年の付き合いになる。

昨年の暮れに出版が決まった報告をするとその場で企画展のオファーを貰って開催が決まった。

俺が写真集を出したら野元のギャラリーで写真展をする、下積み時代からの長年に渡る約束をようやくお互いに果たせた。

展示も完璧にビシっときまり盛大に打ち上げと思っていたがお互いに精魂尽き果てヘトヘトになり缶ビールで乾杯就寝。

翌日は初日、オープンして30分も経たない内に作品が売れた、嬉しかった。

大盛況の初日、夜はトークショー、少し掘り下げた写真の話、からの翌日にDrop'sのジャケット撮影が朝から入っていたので終電で帰京、翌日の撮影もバッチリ決まる。

東京での仕事を平日に済ませ週末に再度神戸入り、今度は作品持って次の高松移動があるので車、久しぶりのロングドライブ。

最終日のトークショーと搬出に向けて昼に出て夕方少し在廊できればと考えていたが気持ちが高ぶり早起きしてしまい5時には出発、昼過ぎには着いてしまい野元もびっくり笑。

おかげで二日間在廊できてたくさんのお客さんと話すことが出来た。

サンキュー神戸と次なる開催場所の高松を目指す、快晴だった。

 

3/28夕方前に高松着、ひとまず作品をギャラリーに搬入だけする。

Tenacity Blues Diary展2箇所目は高松のAUDIO GALLERY。

隣接する洋服のセレクトショップAUDIOが運営する場所。

AUDIOのオーナーであるMIKIさんからはここ何年もずっ〜と高松で写真展をやって下さいと依頼をされて来た、そしてそれを毎回お断りさせて貰っていた。

写真集が出せたら行きますと。

元旦に写真集の発表をした後ですぐに連絡来るだろうなぁ笑と思っていたけど連絡は無く1/10のRUDE GALLERYのイベント時に会った時に直接依頼を受ける、直接会ってからと云う姿勢が気持ち良い、やっぱり信頼できる人だ、もちろん快諾。

こちらもようやく約束を果たすことが出来て一安心、そしてうどんを満喫しに行けることに腹が鳴る。

準備は神戸と並行作業、神戸高松は共同フライヤーを作ることになりデザインはAUDIO側にお願いした。

そして場所、AUDIOの隣のスペースの事は前から聞かされていたが今回の写真展ツアーはギャラリーでの開催にこだわろうと決めていたので名前のなかったスペースをAUDIO GALLARYという名前をつけてもらう事にした。

高松入りまでの間にオープニングイベントの準備、Tシャツの作成やら大変ご尽力いただく、パワフルで頼もしい。

搬入が終わってからは用意してもらったしばらく滞在するアパートの部屋に荷物を置いて一鶴へ、骨付き鷄、最高。

設営は専門ギャラリーではないので今回は余裕を持って二日間の予定を組む。

設営までの中二日は1月末からの怒涛の展開でゆっくり休む事が出来てなかったので高松オフ!

うどん食べたり、直島に行ったり、うどん食べたり、猪熊弦一郎美術館に行ったり、うどん食べたりと高松を満喫、完全にリフレッシュ。

新年度に始まる次の写真展へ力がみなぎる。

 

4月

高松も設営はバッチリ決まり万歳三唱、余裕を持っていたがほぼ1日で終わる。

初日のパーティーにはDJをしにチバさんも駆けつけてくれ楽しい夜に。

まさか自分の写真展のオープニングパーティーでチバユウスケがDJしてくれるなんて、と感慨深い夜に。

あまりに居心地が良すぎてもう1日いようかなと思いもしたが逆に別れが辛くなるのでお世話になったファミリーと再会を誓い翌日帰京ロングドライブ。

さすがに撤収だけの為には行けないので搬出はお任せして次の大阪に送ってもらう事にした。

専門外の方達だが至極丁寧な梱包で作品をいたわってくれているのが解った、やっぱり信頼できる人だ。

また帰る場所が一つ増えた。

 

4/26Tenacity Blues Diary展3箇所目は大阪のdigmeout ART&DINER。

ここのキュレーター的な立場の古谷さんは師匠の野村さんと仲が良くアシスタント時代からのお付き合いがある人だ。

古谷さんも写真集を発表してすぐくらいに写真展のオファーをくれた。

大阪は野村さんの故郷、いつか写真展やりかった場所だ。

そして僕の中で大阪は写真の街というイメージがある、今も昔も数々の名作家が大阪から生まれ育っている。

ようやく大阪で勝負できる自分の写真を展示できる事が嬉しくて胸が高鳴った。

始発の新幹線で会場入り、朝早くから古谷さん、大阪トークショーのパートナーでもあるギャラリーソラリスの橋本大和、神戸から来てくれた819の野元、と最強なギャラリスト3人が搬入作業をしてくれあっという間に完成、見事な手際に感服。

そしてまさかのサプライズでちゃんと無事に作品が届いたかを確認しに来たと高松からMIKIさんも来てくれた。

神戸-高松-大阪と西日本開催のつながりが凄く意味のあった事に思えた、点が線になり道になった。

digmeでの美味しいランチタイムを挟み設営の最終チェックも終わり翌日から高橋優くんの撮影で秋田ロケだったので帰京、初日2日前に設営したのは僕の仕事の都合でした。

大阪展から投げ銭方式のYNWAポストカード販売開始。

 

東京〜大阪〜東京〜秋田〜東京〜仙台〜東京と怒涛の6日間を過ごす。

GW後半は東京でゆったりと、俊平さんの40歳イベントも大成功、ナイジェリアでSyumpeyって曲を演ってるラッパーからお祝いコメントを取り寄せました笑。

 

大阪は最終日にトークショー、お相手は設営を手伝ってくれたソラリスの大和。

大和はソラリスの前のナダールで野村さんが短編写真展をやった時にお客さんで来てて知り合った、その後ナダールのスタッフとして働き今はナダールのあった場所でソラリスというギャラリーを運営している。

ここでもバンドの話はほとんどせずに写真の話を、自分でも写真を撮る作家なので金光さんや野元とはまた違った切り口で質問してくるのでまた新しく自分でも気づく自分の写真が見えた、良い時間だった。

大阪ではソラリスのブースに参加する形で写真集飲み会にも参加させて貰った、写真に造詣ある人達に写真集をたくさん見てもらえて良かった、そこで勝負してる本として作ったので。

古谷さんのところで写真展をやるのを野村さんに見てもらいたかったな。

写真を始めてからの邂逅が連なっている事を改めて実感した大阪、いい展示でした。

 

6月

大阪展が終わりしばらくは仕事仕事の通常運転、こちらも感謝。

レギュラーの撮影仕事や新規のお仕事。

この月に初めての撮影といえばタワーレコードのNO MUSIC NO LIFEのポスターの撮影もさせて頂いた、七尾旅人さんを渋谷の交差点で、初めてお会いしたのだけど写真を凄く気に入ってくれた、また撮影する機会がありそうで嬉しい。

6/26高校からの友達で荻窪で【とみ笑】という自分の店を構えている友人の結婚式、お互いに違う野望を持って一緒に原付で苗場の山を越え上京した奴、嬉しい時は酒が進むね、日本酒は飲み過ぎると翌日くるね、新保のブログを見て来たと【とみ笑】に行って言えばきっとサービスしてくれます。

 

6/29Tenacity Blues Diary展4箇所目はいよいよ勝負の東京。

会場は今年オープンしたばかりの池ノ上QUIET NOISE arts and break。

下北沢にあるバー△供12と読む)のオーナーの竜ちゃんがディレクターを務めるギャラリー。

彼も写真集出版が決まりすぐに写真展のオファーをくれた。

QNは4箇所目にして一番シンプルなホワイトキューブのギャラリーだった。

基本的に年明けの同時期にここまでの4箇所はほぼ開催が決まっていて展示できるスペースサイズもほぼほぼ似ていたので20点の全紙額装サイズにした。

ここではそのサイズ感が一番ピッタリはまった。

4箇所目という事もあり作品の事もより深く自分の体に染み付いて来ていたので流れも完璧に展示できた。

展示を重ねる事の意味を実感出来た。

そしてやはり東京という事もありほぼ毎日在廊できたのも嬉しかった。(何故か昔から写真展をやると告知するとその間に仕事が来なくなるのは何故だろう、、、関係者の皆様、写真展の時もオファーお待ちしてますよ笑)

展示の醍醐味としてリアクションを生で感じる事ができるという事がある。

基本的に人見知り激しいので在廊してても受け身の姿勢ですが、やはり写真の話を出来るのは楽しい、そしてトークショーと同様に誰かと話す事で自分で新しい自分の写真の発見に気づく事がある。

そんなこんなであっという間に会期は過ぎ行くのだ。

 

7月

20点以上も作品が売れた東京展。

どこの会場でもそうだが決して安くはない作品が誰かの手に渡っていくのは嬉しい、その人の生活の一部になるのだと思うと不思議な気持ちになる。

安くはないと言ったがそれでも今回の販売価格はギリギリまで値段設定は下げた、薄利多売をしたかった訳ではなく(であればもっと下げるが)なるべく下げたかった理由としては今回の作品は写真を買うという行為のきっかけになると思ったからだ。

入り口がバンドから入った人にとっては展示を見る事も初めての人もいるだろうし、写真展で写真が買える事も知らない人もいると思った。

そういった人達に写真の世界を深く楽しむ入り口になって欲しいと思った。

正直あのクオリティのプリントをオーダーメイドの額装で売る値段としてはかなり安いと思う、が生きていく上で必要最低限で必要ないモノにだす値段として常識的には高価な買い物である事は100も承知だ。

値段以上も価値はあると思うし、買ってくれた作品の価値がより高まるように自分自身これからもステップアップしていこうと思っている。

最終日まで大盛況で終わった東京展、搬出は竜ちゃんにお任せした、次の日に大変な撮影が早朝から入っていたからだった。

 

で翌朝、AKB48【しあわせを分けなさい】のMV撮影。

まさか自分がJKT写真ではなくMVカメラマンとしてAKB48の撮影に携わる事になるとは。(AKB48の撮影をするのはヤングジャンプ初登場の時の撮影をした以来でした)

監督は箭内さんで、内容は実際にウェディングプランナーさんが入り結婚式を行いそれをリアルタイムでドキュメンタリーとして撮影していくというもの、撮り直しなしの1発勝負、スタッフで準備は周到に行い、撮影時間はあっという間でした、サブでフォローしてくれた二人のカメラマンのおかげもあって撮りこぼしなく素敵な作品が撮れたと自分では思ってます。

 

からのFUJIROCK2016でThe Birthdayの撮影、フジはやっぱりいいよね、また来年もあそこに行きたいです。

 

8月

そう、自分の誕生月。

Tenacity Blues Diary展5箇所目は新潟県小千谷市、生まれ故郷。

1月末か2月頭にTwitterで小千谷で写真展やりたいから誰か力を貸して下さい!拡散!を呟いたらそれが巡り巡って小千谷市観光協会の阿部さん(超ナイスガイ)に届いた。

2月中頃にFacebookに阿部さんから”何かしら力になれると思いますので心当たりをあたります”とメッセージが来た。

そこから始まりメールでのやり取りを重ね小千谷で写真展をやれる場所探しが始まった。

2.3.4.5月とスケジュールに隙間がなかったので大阪展と東京展の合間に小千谷に行き阿部さんと市役所前で初対面、さっそく幾つかの候補地を一緒に見て回る。

阿部さんの車で移動しながらいろんな事を話す、今の小千谷に事。

候補としては、自分が住んでいた時には無かったが2004年の中越地震を経て出来た地震の事を伝え今後の防災のための建物が出来ていてその中にすごく立派なギャラリーがあった、ただ市の中心部からは少し離れている。

もう一つは、結果的に開催場所となった市のど真ん中にある産業振興会館のロビー、ただしここは展示専門のスペースではない。

最初、阿部さんと会って話をする前までのメールでのやり取りの中で僕は前記の場所での開催しか考えていなかった。

しかし市内を移動しながら話しているうちに二人の思惑で一致している所があった、それは少しでも小千谷の若者に夢を与えてあげられたらいいと、すこしでも勇気を与えられるきっかけになったらいいと。

そんなに有名なわけではない自分ではあるが、高校生の時にやりたいと思った事をやり続けている自分にしか伝えられる事があるんじゃないかと思っていた小千谷での写真展開催への思いと同じ事を阿部さんも思っていてくれていた。

それを少しでも伝えるためにはギャラリーという場所にこだわるより人が多く集まり、写真展目的でなくても目に止まる場所、タイミングで開催するのが良いのではと話はシフトして行った。

そして決まったのが小千谷市民が一番盛り上がる小千谷祭り期間3日間に祭りの中心部になる小千谷産業振興会館サンプラザのロビーでの開催だった。

そこから動き出した。

僕の方は常設の壁のないロビーでどうやってTenacity Blues Diary展の世界を見せつつ、なおかつ(正直)田舎の人たちにも解りやすく小千谷出身で写真家として活動している人間がいる事を伝えるにはどうするかということ。

結果的にはTenacity Blues Diary展と合わせて10年間の仕事の写真も展示する事にした。

全て許可を取らずに展示したので具体的にはなんの展示をしたかのかは避けるが沢山の有名人の写真も見せる事で興味を持ってもらえると思った。

壁はよくあるフックがかけられるパーテーションに穴が開いてるやつしか無かったのでそれに撮影用の白のバックペーパーを貼り付け擬似的な白壁を作った、加えてコンパネで自立する壁を作り写真を展示した、どちらも幼馴染が手伝ってくれた。

阿部さんは市内外に向けてPRしてくれてローカルの新聞、ラジオ、テレビと告知の場を作ってくれた、まさか初めてのテレビ出演が生放送の情報番組で30分出る事になるとは思いもよらなかったが笑。

しかしTV効果は絶大だった、ちょうどレスリング女子が3階級金メダルを獲った朝の番組だったにも関わらずそれを見て知ってくれた人が沢山市外から来てくれた、年齢も様々だった。

若者に少しでも夢を与えるとともに少しでも小千谷の経済に貢献したいという思いもあったの開催だったので写真展目的で市外から来てくれた人が居て嬉しかった。

三日間しかない開催期間だが全力で魅せた。

絶対に作品は売れないだろうと赤字を覚悟していたが結果的に作品も売れて収支はトントンくらいになった。(手伝ってくれた幼馴染との打ち上げ代入れたら赤字だ笑)

両親も喜んでくれたし祖母も見に来てくれて嬉しかった。

この一連の写真展ツアーで唯一自己満足を優先させた展示だったとは思うが色んな人が喜んでくれた事が救いだったし、それも写真を生活に取り入れるきっかけになってくれたのだとしたら本筋からズレてないと思った。

結果的に大成功で終わった小千谷展だった。

次は新潟市内で展示できたら嬉しい、もちろん小千谷でもまたやりたい。

 

8/24 The BirthdayとTHA BLUE HERBの対バンイベント。

大好きな2組の組み合わせ、世間的に言うところの俺得。

尊敬してやまないBOSSさんと初めて話す事が出来た。

これもまた邂逅なり。

 

9月

高橋優くんのアルバムジャケット撮影、名作を撮る事が出来たと自負している。

DOESの活動休止前ラストライブ、それはまぁ思い入れも付き合いもあるバンドの活動休止は寂しい。

その撮影を任せてくれた事に感謝して撮り切った、そして朝まで飲んだ、いつも通り、それが僕とDOES、またね。

日常として撮影仕事がある事に喜びを感じる日々で9月は過ぎ行く。

中目黒にあるFRAMESという飲食店でも1ヶ月にわたり写真集Tenacity Blues Diaryの宣伝も兼ねミニ展示をした。

こちらはほんと急遽8月の小千谷展が終わった直後に連絡が来て駄目元でとお願いされたのだが小千谷展で気持ち的にひと段落ついていたところだしお願いされたのが面識は無いけれど同じ地元出身の後輩だったので快諾、話が来て数日後に展示をするという無茶な展示、もちろん場所が中目黒の駅前だったのでこちら的にもPRになるし嬉しいオファーだった。

タイミング的に小千谷でやりきった思いに溢れていたこの時期だから出来たのだと思う、春先だったら気持ち的には実現しなかったと思う。

ローリングストーン誌のweb版のインタビューを受ける、別々の機会だが兄妹でローリングストーンに載るのは日本では稀だそうだ。

そして普段使いしていないGmailに名古屋から写真展開催のお願いメールが2ヶ月まえに届いていた事に気付く9月。。。

 

10月

急ピッチで進む開催に向けて準備の進む名古屋写真展。

そして仕事面ではご新規の案件多数。

今年唯一の1ヶ月間が割と平常運転で日々は加速して行った。

 

11月

末から名古屋写真展始まる。

神戸、高松、大阪、東京は旧知の仲の人たちからのオファーだった、小千谷は自分発信での開催、名古屋は異色だった。

東名阪とよく云われるので写真展したいところだが名古屋のギャラリーにはツテも無いので諦めてはいた。

そこにFOCUS ROCK STUDIO &galleryを運営するphotographerの秦さんからメールが届いていた、ネットショッピングくらいでしか使ってなかったGmailアドレス宛だったので気づくのが遅れたが、以来まめにGmailもチェックしてます。。。

9月のFRAMESの会場に来てくれてそこで初対面して秦さんの思いを聞き開催を快諾。

先方の願いとして12月にあるThe Birthdayのツアー名古屋公演を間に挟む期間での開催という事で11月末から12月頭での名古屋展の開催が決定。

ギャラリーとして正式には今年から始まったスペースだがPhographerとして一線で活動している秦さんが運営しているとあって美意識もあり居心地良い空間、酒が飲め無いのとコーヒーにこだわりがある点が野村さんを思い出す。

重ねてきた展示でもあり設営もサクサク終わる、設営の打ち上げは手羽先。

秦さんは名古屋ビジュアルアーツで講師もしているので生徒さんも多数来てくれる。

トークショーも写真をやっている人が多数で面白い空間だった。

翌日に大切な友人の結婚式の写真撮影を頼まれていたので終電で帰京、ダイエット中だが天むすをつまみに帰る。

 

11月は自分の母校の中学校からの依頼で特別授業もする、完全に真っ当なレールからは外れた"しくじり先生"的な立場な自分だが少しでも何か後輩に伝える事が出来るならと教頭先生からの依頼を受ける。

初めての経験で話す事も上手でないがあの頃の自分に伝えたい事を話した。

生徒からの感想文が嬉しかった。

 

12月

The Birtadayの名古屋公演の撮影も兼ねて在廊、週末に名古屋ロンナイでDJするイマイさんが来てくれる、一緒に夜更けまでロックバーで盃を交わす、居合わせた離れた席の客が包丁を取り出す乱闘騒ぎを笑って見守る笑。

先輩Photographerでもある秦さんからは学ぶことも多かった。

東京で仕事もしつつ自分の地元でも写真文化のの網を広げる事に感銘を受けつつ、自分に同じような事が出来るかを問う。

まさか名古屋のギャラリーで写真展を企画展で開催出来るとは思ってなかったので嬉しかった、これからも繋がる出会いでした。

 

先月の地元中学校での特別授業に続き今度は小千谷市内2校の写真部員対象としたワークショップの依頼を教育委員会の方から頂きワークショップをする。

これも夏の写真展があっての事。

内容はお任せ投げっぱなしジャーマンだったので色々考えたり名古屋で秦さんに相談したりして、とにかく写真の魅力を更に感じてもらえるような内容を考えて行った。

なにより思ったのは自分が高校生の頃にバンタンの体験セミナーで野村さんという初めてプロのPhotographerに触れた時の感覚だった、師匠と比べるのにはまだまだ足りないと思いつつもあの衝撃と似た感覚を味わって欲しいとワークショップの内容を考えた。

一人でも伝わってくれていたら嬉しいと思った。

後日貰った感想文の中に”いつか新保さんを越えます”と書かれていた事で間違ってなかったかなと思った。

そんな機会をくれた教育委員会の土田さん、ありがとうございます。

 

そしてほんの数日前だが高松に再訪。

春に写真展を企画してくれたAUDIOの10周年パーティーにサプライズで訪問。

大阪の設営に来てくれたMIKIさんにサプライズのお返し。

少し早い年末休暇も兼ねて瀬戸内の島々も改めて見て回る。

もっともっと深く写真に撮りたいと思う場所。

帰る場所が増えた事が心底嬉しい、高松は今年で東京と地元を除いて一番長い時を過ごした場所になった、大好きになった、街も人も。

 

 

発売記念展も含めると3月から10ヶ月でTenacity Blues Diaryの名の下に計8カ所で展示を行う事が出来た。

色んな出会いが全てを結んでくれた。

ズルする事なく真摯に写真をやり続けて良かったと思った。

写真集の出版が決まった昨年末に今年は花を咲かせる年だと思った、けれども違った、今年は蒔いた種が芽を出そうと今まで沢山の人が水や肥料を与えてくれていて、ようやく芽吹いた年だったのだった。

これからもっともっと葉を広げて花を咲かせ果実を実らせ、両親から貰った名前の様に勇ましく大きな樹になるべくスタートの年だったのだと思う。

10年間、自分の写真だけで生活をしてきてようやくここに立てたのだと思った。

まだまだこれからだ。

 

【Tenacity Blues Diary】

 

Tenacity=執着としている。

執着した青春日記。

 

そして執着と終着を掛詞としている。

終着した青春日記。

 

そして 被写体となってくれたリスペクトの意味を込めThe Birthdayの略称としてのTBD。

 

ミッシェルガンエレファントのCDジャケットを撮りたいとPhotographerを志した思春期の"BLUES"な青春時代から続く一つの執着の終わりを突きつけられた事から始まった事の終着。

 

それが【Tenacity Blues Diary】というタイトルに込められた意味。

 

この1年を経て、この作品がいかに自己満足な作品であるかは自分自身が一番解っている。

それでいいと思っている。

自分が全てを納得せず、損得なしに出し切ってないものが他人の心を揺さぶれるわけなんてない。

この作品は短くはない年月の今の自分に出来る事の全てを出し切った。

故にまだ出来る事がある事に気付かせてくれた。

 

自分の表現したい世界の極めてエゴいステックな形での作品制作を快く受け入れてくれたThe Birthdayという日本屈指のロックバンドに最大限の敬意を。

そんな作品を思い描いた通りの形として出版してくれたワニマガジン社とワガママな写真展を企画展として開催してくれた全てのギャラリーに最大限の感謝を。

そして写真集や作品を購入してくれた人、写真展を御高覧してくれた沢山の人にも感謝を。

積み重なるありがとうに更なるありがとうを。

 

まだまだ夢の途中だし、青春はいくらでも繰り返す。

写真集のあとがきにも書いたが、これからも純粋に写真に溺れ生きて行こうと思う、此の身が朽ち果てるまで。

写真の旅は続く、先へ、未だ見ぬ先へと。

 

 

わたしはあきらめる事を知らない。

いや。

あきらめる事を忘れたふりして生きると決めたのだ。

本当は死に物狂いで飛んでいるのに軽やかに歌う様に飛んでいる様に見せるのだ。

そう決めたんだ。

 

すでにとりかえしはつかない。

 

でも、きっと大丈夫だから。

 

 

皆さん良いお年をお迎えくださいませ。

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

追伸:ご報告

 

Tenacity Blues Diary展の大阪、東京池ノ上、小千谷、東京中目黒、名古屋会場、にて販売しておりましたYNWAポストカード。

 

 

 

 

総売上は¥125362となりました。

御購入いただいた皆様ありがとうございました。

 

売上金は、ふるさと納税ガバメントクラウドファウンディングのシステムを用いて以下の2箇所に寄付させていただきました。

 

・【A-PADジャパン】熊本大地震・被災者緊急支援

https://www.furusato-tax.jp/gcf/81

 

・【宮城県石巻市】震災を経験した子どもたちの想いを 世界中の子供たちに伝えたい!!

https://www.furusato-tax.jp/gcf/51

 

 

たくさんの人の手にポストカードが渡り行き嬉しかったです。

また写真展の際には作成して販売していこうと思います。

 

You'll Never Walk Alone!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 2016.12.30 Friday | 10:15 | comments(0) | - |
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| 2017.08.31 Thursday | 10:15 | - | - |









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